代表理事 平成28年5月のごあいさつ

 皆さんご承知のように、北朝鮮では36年ぶりの党大会が開催されました。その有様を見ていると、まだ共産主義は続いているということが非常に実感されます。同時に中国もまた同じであるということを忘れてはいけません。あの党大会もそうですが、言論の自由がないというか、思想的にも精神的にも基本的に人々が完全に窒息しているという状況です。私は去年11月に、北京大学の北京フォーラムに招かれて行ってきました。一応ノーベル賞級の人たちが招かれてやっているわけですが、実際参加してみますと中国人の学者がほとんど発言しない。発言しても本当に事実関係だけを述べていて、そこでちょっとでも共産党の問題あるいは政治体制の問題を言うと途端に引いてしまう。そういうことそのものが言論の窒息であり、言論の弾圧・抑圧であるわけです。

 今月のシンポジウムでは、そういう問題をテーマに取り上げます。我が国はいちばん中国にもソ連にも近いし、北朝鮮にも近い。あらゆるところに接している日本が最も敏感であるべき問題であるわけです。ご存知のように、フランス人が書いた『共産主義黒書』という書籍が出ています。これはつまりナチが追及されても、なぜソ連あるいは共産主義体制のことを誰も告発しないのかということです。これは共産主義という言葉の中に、ユートピアみたいなもの、ある意味でヒューマニズムの名のもとに語られるということが一方にあって、現実には全くそうでは無いということ。その現実が明らかにそうではないということの方が、はるかに本質であるわけです。そういうユートピアあるいは言葉によって作られる幻想、つまり言葉の思想でわれわれは明治以降西欧にある意味でものすごく影響を受けて、また学者がそれをすべて真に受けて、あたかもそれが真実であるかのごとく論じてきました。それが東大であり、京大であり、つまり我々だったわけです。そういう言論そのものが非現実的、つまり一般の国民の方がまだよく分かっているということなんです。しかし、そういう方々は言論を持っていません。今こそ彼らに言論を持たせよう、そこから我々が言葉を発見していこう。そういうことの営みが日本国史学会であるわけです。

 その問題は最初から、共産主義そのものがある種のヒューマニズムであるようなことで語られていたわけです。けれども私は文化という物に非常に注目したわけで、共産主義の中では全く文化が生まれませんでした。文化というものは根強い伝統の中に作られなければいけないし、一つのイデオロギーだけではできないのです。それからもう一つ言えば、国家観というものがない文化というものは、そこに正義がない。そこに正統性がない。そこを文化の根幹に置いているのが日本であります。ソ連で1917年に革命が起きたときに、一番よく対応したのが日本だと私は思います。一方ではシベリア出兵ということで、いちばん長くいた。それと同時に共産主義の悪というものをいちばん最初から国として抱えていたのも日本だと思います。そのことはある意味での日本のあり方の評価というところに、重要な視点があるだろうと思います。

平成28年5月  当会代表理事/東北大学名誉教授 田中英道