代表理事 平成30年3月のごあいさつ

2018年3月10日収録分代表挨拶

〈日本〉というものを我々の歴史に、日本人の歴史に取り戻すということが必要です。戦後70数年の、日本を忘れた日本人に対する歯止めをかけるための学問的な営為をしないと、ジャーナリズムだけではどうしても表面的な宣伝の問題なってしまいます。日本国史学会の理事各位の名前を見てくだされば分かるかと思いますが、中核になって戦後の学界を変えていこうという試みをしてきたわけです。ですから、皆さんの中で若い学者あるいは研究者がおられたら、ぜひ声をかけてこちらに集まっていただきたい。まだまだ学会そのものが戦後のレジームの中にあります。私たちはすぐに分かりますが、特定の思想・イデオロギーに染まっているのに気が付かないでそれが真理だと思い込んでいる学者が多いのです。自分の専門のところだけをやればそれでいいんだという考えです。ですから、学者ほどかえって”専門バカ”に陥りやすくなっている。昔だったら学者が広く多く知識を吸収して、広い視野で学問をするのが当たり前なのですが、それを忘れています。本当にそれぞれの専門家がいるだけだという状態です。だいたい、歴史の全体を書ける人が大学にいないのです。皆、それぞれの時代、それぞれの地域、それぞれの専門だけでやって事足りる。他のことをやると、かえって摩擦が起きてしまう。そういうことで、残念ながら歴史全体を書くという人がいないのです。私は日々新しい資料をもとに日本の歴史を研究していますが、そういうことに賛同される方々は積極的にこの学会に結集していただきたいと思います。

 さて今、北朝鮮問題が非常に重要になってきています。これも歴史という問題で考えると非常に奥深いものがあって、「なぜ北朝鮮があれだけ核に固執するか」という問題です。若い金正恩が、今たまたま核保有をやめると言い始めまています。しかし、ここには隠されている歴史があります。日本やドイツにとっても、アメリカのマンハッタン計画と並んで原爆を造ることが第二次世界大戦で重要な課題でした。どこかの国が保有すれば、必ず競争になり、現在のような核抑止が成り立たなくなります。どこかが持てば必ずそれを使うという状況で、どこかが犠牲になります。日本にも二つの計画がありました。海軍と陸軍それぞれでイニチアチブをとって研究していましたが、一方の京都大学系の研究ではウランを使って造ることをほぼ決めていて、かなりのところまで進んでいました。しかし戦後、調べている人が左翼系ばかりということもあり、原爆計画は「日本も野望をもっていたが残念ながら力がなかった」とか「全く実験さえできなかったので日本では無理であった」「福島でやろうとしたが駄目だった」と力がなかったように言っています。しかし、まったくそうではなかったのです。その頃日本が併合しており朝鮮を守るという意味もあって、北朝鮮の興南というところで水力発電のエネルギーを使って日本も原爆を作るという計画を着々と進めていました。そして実際に、日本が原爆実験に成功していたと2月の段階で北朝鮮の新聞が書いています。これは非常に重要なことです。ロシアの新聞も平成26年(2014)に書いています。

 日本は戦争中すでに原爆を作ることに成功していました、それは昭和20年(1945)8月13日です。つまり広島、長崎に原爆が落ちた日のたった4日後あるいは1週間後だった。北朝鮮の興南で成功していた。そうしますと、日本の原爆計画というのは、実験まで成功していたということです。北朝鮮でやっていたというのを、日本の研究家が全く分からなかったわけです。日本が原爆を作っていたということを今、北朝鮮、ロシアそれから中国も言い始めています。北朝鮮で行われていたので、戦争が終わった後ロシアがその技術を取っていった。秘密にしていたものですから全てが伝えられず、このため日本には原爆について何もなかったと書いてある本が多いのです。しかしこの事は、日本の英知がそのような程度のものではないことをはっきり示しています。私は必ずしも、原爆を持つ必要はないと思っています。しかし今の状況では「日本が原爆を持っている」とみんな思っている。国際的には日本は非常に強い核保有国であるという潜在的な評価をされているという事実、これを知るべきだと思います。イスラエルを含め、あらゆるところが核を持っているか持っていないかを外には示さない。しかし核を持っているということで、他国を威嚇できると認識される。これも一つの戦略です。「日本は核を持て」などとはっきり言う必要もないし、戦争はよくないことですから全くするべきではありません。しかし日本を守るということに関しては、絶対に引けないのです。そういう意味で核というものが役立つならば、「核をいつでも持てる」という態勢を内外に示しておくのは絶対に必要だと思います。「プルトニウムがどれだけあれば」といった話だけだと認識している方も多いと思いますが、それだけではありません。核兵器を作るためには、それだけの技術と能力が必要です。「もう持つことができる」「潜在的に持つことができる」という意味で、日本は核に関してはイスラエルのようにあるべきだと思います。能力はあるけれども持たない、あるいは一切言わない。今の核というのは政治の問題ですから、”ふり”をして余計な軋轢を起こさない。本来北朝鮮も造るのを黙っていればいいわけで、それが本当の国力というものです。核を造るなんて言うから「叩くぞ」と脅され、核保有をやめると言わざるえない。北朝鮮は表向きニコニコしているように見えても、国際的な締め付けで悲鳴を上げているわけです。わざわざ余計な事を言うとそうなるので、国際社会に対しては日本的な方法でやるべきだと思います。そのかわり日本も、ある意味で核兵器を持たないといけないだろう思います。戦時中の原爆開発成功の事も、もっとはっきりさせるべきです。そうした日本がやっている事と、北朝鮮がどうだったかという問題、そして各国の評価。各国はすでに認めているのに、日本でだけ話題にされていないという事です。これは日本のマスコミの欠陥であり、学問の欠陥でもあります。これについては、別の機会にお話ししたいと思います。

平成30年3月10日:当会代表理事/東北大学名誉教授 田中英道