代表理事 平成30年6月のごあいさつ

2018年6月9日収録分代表挨拶

 今ご存じのように、北朝鮮とアメリカでどういう会談が行われるか注目されているところですが、やはり歴史と現代というものを結びつけることが非常に大事だということを私は何度も言っております。結局、多くのメディアは現代のことしか言いません。現代の事を言うことで、かえって現代が分からなくなっています。ですから我々は、常に歴史的な状況というものを再検討しながらゆかないといけない。それはやはり歴史というものが人を賢くする、ということになるだろうと思います。

 特に今、北朝鮮が核を持つということで、何度も実験したりミサイルを発射したりしているわけですが、もともと核を持っている国は、国連で常任理事国となっている5カ国です。以前4月18日の発表で、日本も原爆実験をやっていたと申し上げました。昭和20年8月12日にそれをやっていたんだというアメリカの新聞記事があるということと、同時にすでに本が出ているということも皆さんに報告しました。今日の産経新聞には、北朝鮮の興南に日本の私企業の大きな工場があったということが書いてあります。それにお気づきになった方がいらっしゃるかどうか分かりませんが、おもしろいのは、そこに爆薬の工場もあったということが書いてありました。それが原爆を扱うかどうか分かりませんが、その私企業の非常に大規模な工場があったと。それが戦後ソ連によって接収された、あるいはそれを持っていかれたということが書いてあります。どうもそこに原爆工場があったのかということが問題です。私の研究ではそれがあったということで、そこの海上で爆発実験を行ったことについて、かなり信憑性があるということです。それはソ連が全部持っていったということになりますと、ソ連が1948年の8月に別のところで原爆を成功させているわけです。どうもそれを持っていったことによるものだという可能性が、だいぶ出てきたということです。日本が原爆実験に成功していたということが、全く、今消されてしまっています。ある本によると、ある種の消す謀略があったということなのです。それは面白いことに、アメリカの新聞にそれが発表されたにもかからず、アメリカがそれを全く黙っています。日本が原爆を成功させたら困るという、その当時の国際情勢があって、それを永久に消すということがあった。というのは、核拡散防止条約というのがあります。この1968年ワシントン・ロンドン・モスクワで署名された核不拡散条約によって、核保有国は非核保有国に核兵器、核爆発装置やその技術、管理などを渡さない――核保有国というのは5カ国あって、それ以外の国に技術や管理などのノウハウを渡さないということが書いてあります。それ以後、非核保有国というのが「IAEA(国際原子力機関)の協定を結んで核物質について保障措置を受ける」と第3条に書いてあります。それで、もし日本の核開発が成功していたということになると、問題が生じます。第9条に「アメリカ・イギリス・ロシアが寄託国である。1967年1月1日より前に核兵器その他の核爆発装置を製造し、爆弾を爆発させた国が核保有国である」ということが書いてあります。そうすると、もし1945年8月12日に日本の核爆発が確認されたら、この5カ国に次いで日本が核保有国になるという可能性が出てきてしまいます。私はこの話がまったく消されたという事は、国際的な謀略だと思います。これが問題にされなくなった、それから日本も全く知らない。北朝鮮といいますか、当時は日韓併合されていました。そして、その後戦争が終わった時に、まさにドサクサ紛れに帰国していた。大陸から帰国するという非常に困難な日本国民の苦労があったわけですが、そこのところで、なおかつ興南というところに工場がありました。今日の新聞にも北朝鮮にたくさんの、満洲と同じような日本が残した工場や設備がたくさんあって、特にここでウランが出て、同時に水力発電所ができたことがあって、まさに原爆を作る装置としては十分に可能な環境にあったという事は明らかです。そして、それが成功したという報告が新聞に出た後、しかしその後まったく抹殺された。そしてやっと出てきたのが1990年の、どうもOSS(戦略情報局)の資料が出てきた後に、Japan’s Secret war(ロバート・ウィルコックス著)という本が出てきた。今、実はそれを訳しています。そういうものが出て、もし日本が核開発に成功したとなると、今までは核保有国はアメリカとソ連――この二国が競争していたいうことだけで、彼らは誇らしげに核を保有していた。そして2つの国にしかできないことだ、ということで戦後きたわけです。けれども日本がそれを持っていたということになると、やはり全く違ってくる。戦後の考え方が全く違ってきます。

 私は、その後日本がそれをやったという事を一切言わないということも、ある意味で立派なことだと思います。そういう記事が出たという事は誰かが知っているわけです。そして実際に検討されて、今の日本の原爆開発の本に載っています。しかし、これはまったく嘘であるということが、だいたい平和主義者である科学者によって認識されていますけれども、やはり日本はいつでもできる、という事を言っているわけです。しかし「自分たちがそれを持っていた」という事は絶対に言わない、という態度がある意味で出ているわけです。これは非常に重要なことです。他の国は、アメリカにしてもソ連にしても、自分たちがやったぞと。そしてそれを譲ってもらったことで、あと3カ国あるわけですけれども、持っていることを誇らしげに言って、それで国連の常連理事国なっている事実があります。日本は持っていたけれども、そんな事自体は大したことではない。それはかえって人類にとって不幸なことだ、ということを暗に認識しているということを示していると解釈できます。ですから、日本は核保有国であるということをわざわざ言わずに、核開発は成功しているけれども核を持たないということの方が大事なのだということを認識している。今でも核を持たない、だから北朝鮮も持つべきでないとはっきり言うべきです。「我々は持っているけれども、戦後作らなかった」という方向に論理を持って行くことができます。

 これについて、左翼の人たちは「自分たちが原爆あるいは原発を作っちゃいけないということで反対運動やっているお陰だ」と言うかもしれませんが、だいたい保守の人たちもそれに同意した格好で今まで正式に造っていないいうことです。もともと日本人は、織田信長の鉄砲隊にせよ当時世界最高レベルだと言われていたわけですが、それを捨ててしまった。刀狩りで、鉄砲も取り上げてしまった。そういうものをどんどん発達させることができるけれども、日本はそれをしない。一旦銃を持っても、銃というのは危ないものだから捨ててもいい――そういう考え方を日本人はちゃんと持っている、これは大変誇るべきことです。

 ですから、世界に対して「日本にならえ」と。日本はちゃんとそういうことができたけれども、それを誇らない。そして持っていても、こういう危ないものは捨てるべきだという事を日本が主張する、そういう態度を取れるわけです。確かに日本においては仁科(芳雄)さんをはじめ、理化学研究所・京都大学など各所であらゆる装置・設備が整っていて核開発が可能でした。問題は大量のウランと実験場所でしたが、それを北朝鮮でやっていた。興南というところでやっていたということ分かれば、それは我々みんなで忘れようという態度になった。核を造るのは本来よくないことだという事です、これもやはり日本のある種の考え方に沿っていると思います。銃とか原爆とかそういう武器を発達させるという事は、人類にとってよくないことだということが言えるわけです。

平成30年6月9日:当会代表理事/東北大学名誉教授 田中英道